[目次]
訳者序文
フリーマン・ダイソンの序文
1.驚天動地
ナチスからの逃避行の始まり スペインへ マヨルカ島のピター・レイの学校へ 試練の学校生活 ピター・レイの教育―文学に親しみ始める 学校生活の楽しみ 母の憂鬱 家族での船旅 父の来訪,そして転校 スペイン市民戦争が始まった! スペインからの脱出 南チロルへ 妹と別れてロンドンの父のもとへ
2.わが一族の歴史
父方の祖先―敬虔な祖父エミール 母方の祖先―ガラス製造業で成功した祖父ヒューゴー 芸術的センスに富むヒューゴー 祖母ローザと母エルゼ ローザの死因は? 両親の結婚 私の誕生
幼児期の私―ドレフュース事件を聞かされて涙する 妹イレーヌの誕生 文学とのかかわり合いの出発点 ユダヤ人いじめの始まり 両親の結婚の破綻
3.イングランド
寄宿学校メイデン・アーリー校に入る 学業修了試験の準備と合格 ポッパの励まし―芸術への手ほどき 理科系教科の学習 戦争が始まる ポッパは強制収容所へ 湖水地方へ疎開し,技術学校へ ワーキントン技術学校での授業 大学進学を目指して 金属協会の講演会を聴きに行き,冶金を専門に選ぶ 父のアパートでの弦楽四重奏の夕べ ケンブリッジ大学へハットン教授に会いに
4.ケンブリッジにおける学生生活
優れた教育システム 鉱物学に多くを学ぶ カレッジの役割 学寮長との会食,戦時下の食事 スポーツと私 サークル活動
妻パットとの出会い パットが語る出会いの頃のこと 2人のまた従兄弟 トリニティの学友たち 演劇に親しむ まれな特権で3年目も研究生活に
5.理論と実験
金属の塑性 単結晶による実験 転位概念の提唱 転位概念への反発 ケンブリッジにおける私の実験 ポリゴニゼーションの発見 コットレルの助言 転位論の基礎固めと発展 理論と実験の共生
6.研究と教育
オロワンの指導の下に研究生活を始める 博士課程における研究 ハーウェルの原子力研究機構へ 金属ウランの塑性変形機構を研究
大学へ移ることを考え始める バーミンガム大学の講師に バーミンガム大学における実り多い日々 金属間化合物の力学的性質の研究
金属間化合物のクリープ挙動の研究 海外の研究者との共同研究
研究資金の申請はしなかったが,資金不足は感じなかった 北ウェールズの大学の正教授に 新設のサセックス大学応用物理の教授に
材料科学の教育課程の策定 急速凝固金属合金の研究 パリ第11大学への異動,辞任,そして59歳で年金生活者に
妻パットの活躍 英語・英文学の教師としてのパット
7.登山と結婚
学生時代に書いた登山に関する随筆 深夜のクライミング 大学登山クラブ 家族との山行 カレッジの屋根高く掲げられたオールを深夜に降ろした話 山頂でのパットと両親一行との偶然の出会い 山頂の教会で結婚式を挙げる パットの家に招かれる パットの両親 パットの戦時経験と大学進学 大陸へ新婚旅行に その頃のフランス人は親切だった! スペインに祖父と母を訪ねる ロンドンに辿りつく ハーウェルで新生活を始める
8.芸術
文学と私 音楽と私 ポッパと音楽 ポッパの家での演奏会 音楽家の後援者としてのポッパ 私の受けた音楽教育 チェロのレッスン 絵画と私
美術品の蒐集 大学における美術品の蒐集と展示 現代芸術と私 写真と私
9.アメリカでの経験
アメリカの大学に1年間招聘される アメリカに関して読んだ本 ジョンズ・ホプキンズ大学での研究生活
機械工学者ベル教授と親しくなる 各地を講演して回る アメリカの引き抜きに応じなかった理由 アメリカ人気質
英国とアメリカの対立 イングランドとブリテン アメリカの壮大な景観 シカゴ金属研究所でC. S.スミスに会う C.S.スミスの金属の歴史への興味 100回を超えるアメリカ旅行
10.編集と執筆
原子炉材料に関する専門学術誌"ournal of Nuclear Materials"発刊
物理冶金学の上級教科書"hysical Metallurgy"出版 編集者の仕事 編集者にもいろいろな種類がある
材料科学の専門学術誌"ournal of Materials Science"発刊 専門学術誌"ournal of Materials Research"主要編集者に
専門学術誌"ntermetallics"立ち上げ "hysical Metallurgy"共同編集者ペーター・ハーゼンの思い出 ハーゼンの誘いで『材料科学と技術』叢書の刊行にかかわる ハーゼンの想い―ナチスの蛮行の償い 科学百科辞典の編纂など 『材料科学の到来』の執筆 科学者仲間への知識の普及活動 ラジオ番組の科学分野専門回答者に
11.サセックス大学上昇期
英国新構想大学の第一陣として創立 アメリカで生まれた材料科学の概念 英国における材料科学概念の成熟 サセックス大学の材料科学科 サセックス大学時代の家庭生活 大学内外における諸活動 科学政策研究ユニットの創設 マンチェスター大学の外部試験官を務める
12.サセックス大学下降期
学生反乱 サセックス大学へも波及 企業の研究支援について学生新聞に寄稿 第二代学部長に選出される 辞任の際の惜別の手紙 サセックス大学の消え行く特徴 あまりにファッショナブルになりすぎた
13.復活した世界
ポッパをめぐる女性たち ポッパと家族の関係 ドイツに戻った祖父と母 祖父の墓 母の葬式 妹イレーヌと夫ピエール 王立協会会員になったピエール
14.旅行の契機としての科学
36の国々で開かれた国際会議に100回以上出席 定期的に開催されるタイプのコンファランス 小規模会議とメガ・コンファランス 諸国の科学アカデミー会員に 以前の学生たちとのつながり―インドでの登山 学術目的の長期旅行―アルゼンチン 再度アルゼンチンへ 有能な研究管理者ホルヘ・サバト アメリカで過ごした夏期休暇 オーストラリアに6ヵ月滞在 パリ南大学での憂鬱な日々 フランスを去ってケンブリッジに
15.政治と宗教
私の政治的意見 労働党応援の選挙活動 保守党支持へ転向 自由党支持に科学顧問として自由党に助言 再度,保守党支持に再び学生反乱について 欧州連合について 英国の議会制度と英国的自由の優位性の保持を願う 宗教と私―ユダヤ人の家系に生まれて 「よきユダヤ人」たらんとした最後の試み 「高潔なる異教徒」 チベット仏教とチベットの人たちへの共感 ドイツに対する態度―政治的かつ宗教的考察
16.後継者たち
学問上の弟子たち 若者に贈る「賢者の言葉」 国際的コミュニティに対する私の思い
《妻パットのスピーチ》
17.帰属の技法
あとがき
年 譜
索 引
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